タイガーズ・アイ

 今日は「ファース・ピアーライト」さんのHPを開いたら、「直筆メッセージ」が更新されていて、その内容が「私に向かって言われているみたい!!!!!」だったので、とりあえず一人で反省&赤面した、不肖・ロズ子○○才。
 どこの部分に反応したかというと、「『あれはエゴだ!』『これはエゴだ!』と攻撃していませんか?意識が自分の内面にではなく、外に向かっていませんか?」というような文言のところである(大大大大大爆発)。不肖・ロズ子○○才、まさに昨日(いや、「いつも」かもしれないが)人様に対して「あれはエゴだ!」と指差したのであり、ほんと、この文章を読んだときには「まずいところをお母さんに見つかって怒られている」ような気持ちがしたのであった(しみじみ)。
 もっとも、自分を正当化したいのが私であるから、ひとしきり赤面したあとで「でも『エゴさん』にも『お役割』があるのでは。」「指摘しないところに事態の改善はないのでは。(←「自分が改善させてやる」というところが、既に倒れるほど図々しいが。)」「外に対して無批判になるのは、コントロールされることを招くのでは。」などといろいろ考える。似非宗教家の人は、「考える」ことを否定することによって信者の標準的な判断力を奪いお金を搾取する(と思う)が、ねーえ、自分の中で外部を評価付けしないということは、「判断しない」ということであり、それって好きなものを無批判にただ受け入れるということになってしまわない?????
 とは思ったが、同時に「エゴは確かに魂に悪そう」とも思うのであった(大大大大大爆発)。
 そんな私の今日1日は、やはりエゴ満載の1日だったのであった(しみじみ)。
 社長がライバル同僚のほうを可愛がるからおもしろくない。とか、他社の社長から軽く扱われた。とか、会議で賢しらな態度をとるライバル同僚に負けたくない。とか、いろいろなエゴが次から次へと顔を出す。
 お昼にはエゴの中和(爆)のために、『変換1』を読み、アンデシンを眺めたのであった。(大大大大大爆発)
 夜になってからの結論は、「やっぱり他者を批判する意識は自分の魂によくないだろう」という、この1種類である(しみじみ)。
 『変換』を読んでいると心地よいことは確かなのであった(しみじみしみじみしみじみしみじみ)。
 ところで今日お見かけした他社社長は、手首に大玉タイガーズアイのブレスを巻いていて、私はそればっかり見ていた。「…タイガーズアイ、か…(しみじみ)。年配(だろうと思う。)の社長でも、金運を求めてパワストブレスを巻くんだなあ。」と思いながら。
 そして、相手は社長だったので、「私もタイガーズアイのブレスをすれば、お金と財が増えまくるだろうか。」と想像したものである。
 そして次の瞬間、「…この会社儲かってなかったな…(←注:失礼すぎる感想。)。タイガーズ・アイは『儲けまっせ。』という社長の決意の現れなんだろうなあ。」と思いなおしたのであった(自爆)。