南極マラソン

 17日も午後9時台から眠ってしまい(爆)、本日(18日)朝にまた「前日の日記」を書いてる、不肖・ロズ子○○才。
 17日夜はカーサ・オブシディアンを握り、バッタリ鉱山の水晶を眺めつつ眠ったが、このバッタリ鉱山の水晶は大変不思議な色をしているのであった(しみじみと観察。)。
 「白水晶」ということで白濁しているのだが、その「白」がブルーグレーがかっている上に、内部から光っているように見える(←注:私見。)。言わば「神様の衣」っぽい色(@イメージ)だ。
 カーサの冷たい感触を味わいながら、村上春樹の『1Q84』3巻を読みつつ眠る。この本には3巻目にして「魂の交流」という言葉が出てきて、私は驚いたのであった。
 『1Q84』で出てくる「魂の交流」は、(他の本にはありがちな)「人と人との深いところ(浅いところである場合もある)での感情の交流」という意味の陳腐な(←すみません私見です)「魂の交流」ではない。
 まっすぐに相手の魂を見通し、それよってじかに触れ合い、厳しさや苦痛も伴う「魂の交流」なのであった(←ものすごく私的な感想。)。
 ハルキはこういう魂の交流を経験したことがあるのだな…。と私は勝手に想像する。Book3に描かれる月は12月なので、今読むのにちょうどいいのであった(何となくもったいないが、12月までの内容なので、年内に読み終える目標)。
 今日(18日)はテレビを見ていたら、「南極マラソン」についてのニュースを報道していた。
 「南極でマラソン?????いったい、何のために?????」と私はびっくりした。テレビ画面ではペンギンが並び、南極でマラソンをする人間を眺めている。
 完走した方がおっしゃるには、「マラソンすることは地球を味わうことなんです。」ということで、確かにそうかもなあ。と思いつつさらにニュースを見ていると…
 「南極マラソンに参加して、走り続ければ必ずゴールできるとわかりました。マラソンだけではなく、仕事でも、趣味でも、その他でも、続ければ必ず。」というお言葉。
 これについても「その通りだなあ。」と思ったが、同時に、「でも、『会社での仕事』には『定年まで』という時間制限があって、それまでにどこまでたどり着けるかなんだよね…。」などというまことに競争主義的な考えも脳内を横切り、「自分本位で全くスピリチュアルでも何でもないじゃん、自分。」と、またも自分を反省した私なのであった。(自爆)