機嫌が悪いのかも(反省)

 今日は早くも社長が義援金を募り、新聞社→日本赤十字社経由で募金をすることとなった、不肖・ロズ子○○才(と会社の同僚&上司)。
 迅速だ、社長(しみじみと感心。)。どうかいい具合に義援金が届き、大変よい具合に活用されますように。(←お祈り。)
 などとお祈りしている私だが、このところの「祈りましょう」論調には若干の疑念を感じる。そりゃあ、私だって祈ることはしょっちゅうだし、神頼みも山ほどするが、それでもどうもこう、「被災地への祈りは通じる」という予定調和的というか自己満足的というか自己完結的というか自己催眠的な発信には、何となく異を唱えたくなるのであった。(←とてつもないへそ曲がり。)
 また今日がばかみたいに寒い日で、被災地に追い討ちをかけている(ように思える。)。「石は看病してくれないし、おかゆもつくってくれない」とおっしゃった石販売者の方がいらっしゃったが(そして私も「それはそうだ。」と思うが)、果たして「祈り」は寒くておなかがすいてストレスがたまって体調が悪くて心配を山ほどかかえて不安で仕方がない被災者の方々を癒すのか。
 たぶん灯油と水と食事と毛布と薬のほうがよろしいような気がするのであった(←単純に想像。)。
 そうは言っても、道路事情と原発風評被害(「風評」と言いきれるのかどうか、甚だ心もとないが。)と行政のお役所仕事的責任回避仕事振りの結果として、物資もなかなか被災地に届かないようだ。やっぱり難しいなあ、現状(しみじみ)。
 原発に至っては、日々不具合が新しく出て、全然止まりそうにもない。立ち上がれ我こそはと思うサイキックの皆様よ。と思ったりするが、一方では時々頭をもたげる次のような想念が頭をよぎるのであった。
 「ま、明日のお天気も予想できないし、自分の身体ひとつ思うようにならないのに、やっぱり無理かもね、念力での原発操作(爆)。」
 私は自分勝手でエゴに溢れる女だが、今日は特に気持ちがささくれている。きっと機嫌が悪いのだな(爆)。
 これ以上書くと、もっとささくれそう(@文章。)なので、今日はこの辺でやめておいて、やさぐれている自分を静かに反省することにするのであった。(←心がさかむけ中。)