世界を変える力

 昨夜(というか今夜)は、なぜか午前2時40分に目覚め(爆)、ぼんやりとお風呂につかった後で外に出て、水晶を手に「スーパームーン」を眺めた、不肖・ロズ子○○才。
 月は速い速度で流れる雲間から見えたりまた隠れたりで、ぼんやりとした光を放っていた。
 その月に向かって「エゴを手放したい」と心の中で語りかけてみたが、今日の私は残念ながら昨日の私と変わらない。まあできるだけ心がけていこう、自分の利益を最優先しないように(←できるだけね)。
 目覚めると、消防庁スーパーレスキュー隊の隊長さんのインタビューがTVで流れた。
 高濃度放射線が敷地内で観測される(爆)福島原発で「水かけ」に当たられた隊の方である。「隊員は皆士気が高いが、ご家族のことを思うと、申し訳ないとこの場をお借りして謝りたいです。」とおっしゃる涙目の隊長様に、こちらも涙目である。
 本当にありがとうございます〜〜〜〜〜!!!!!どうぞ無理なさいませんよう、できるだけ安全最優先で作業をなさってくださいませ!!!!!
 警察も自衛隊も消防も、国の原発推進政策の「尻拭い」をさせられた形だと私は思う。今朝のニュースでは、最初は日本国民の我慢強さと冷静さを褒め称えていた海外メディアも、日増しに辛口になってきて、オーストラリアのメディアなどは今回の問題は「日本株式会社」の体質によると書いたそうだ。
 「日本株式会社」(しみじみ)。何となく意味がわかるような、わからないような…
 と思って検索してみると、かなり歴史のある言葉であるようで、ウィキペディアに載っていた(爆)。ご興味のある方はそちらでご覧になられたらよろしいが、要するに日本という国(か政府か経財界)のために、いろいろ癒着しているということであるようだ。
 してるしてる、癒着(←諸手を上げてこの説に賛成。)。御用学者とか御用学者とか御用学者とか(大大大大大爆発)
 癒着は今に始まったことではもちろんない。エイズウィルス入りの血液製剤とか、兵器産業と国とか、アメリカの食問題とか、医薬品の開発と研究費のスポンサー企業とか、もの知らずの私でもいくつかぼんやりと挙げられるほどだ。
 思えば選挙もある意味癒着、国民は自分の「手近な利益」に直結しそうな政治家に投票する(そうでない人ももちろんいるだろうが)。おまけに選択肢が激少なく、いずれに投票しても似たりよったり、ということがあると思う。
 原発は、手近な利益と癒着とエゴの産物であり、その利益は命にかかわる危険と隣り合わせであるという認識は(知ってる人には充分に)あったはずだが、その未曾有の危機がわずか40年目で来るようでは思った以上に全然、全然ダメであったとしか言いようがない。
 今日は青森県原発推進派の方が、「原発建設に向けてすべてが動いていて、経済のためにもこの動きは止められない」と目をきょろきょろさせながら(と私には見えた)テレビで語っておられたが…
 「知ってるか。死んだら自分にとっての世界は終わり、経済も全然、全然カンケイなくなるのよ。」と、テレビに向かって思った私であった(しみじみしみじみしみじみしみじみ)。
 ああ、もう一言。何事も「しょうがない」で終わらせるんじゃないぜ。(断言。)
 判断力と思考力と批判精神は持つべきだ。それが世界を変える一つの力であるからだ。
 そういう意味で、何にでもかんにでも「愛を送る」なんて問題外。何となく「横並び」が根っこにありそうだから。と思う私であった。(←と言いつつ私も保身のために黙っていることはよくあるが【そしてそういう自分を反省《がっくり。》】)