祈りのグリッド

 原発は(もはや政府もマスコミも「収束まで数ヶ月はかかる」と言っているが)今日も一向に収まる気配もなく、NHK9時のニュースも「収束」については完全にあきらめムード(←まあ素人にはどうしようもないもんね【爆】。そして「プロフェッショナル」という意味での「専門家」が、実はこの分野には1人もいないのではないかと思い始めている私である。)、放射性物質を含む何物かだけが日々放出されていく(しみじみと無念)。
 そんな中、「長期にわたる見込みだから」という理由で、放射線被曝の年間許容量を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げようとしているが、「そんなのとんでもなさすぎ。」と思う私であった(しみじみしみじみしみじみしみじみ)。
 今日も偶然、岩波新書の『放射線と健康』というようなタイトルの本をパラ見したが、かなり以前に書かれた本でもあるし、放射線による健康被害について現実にあった事象とデータを並べ、何の容赦もなく客観的に書いていた。
 つまり私が言いたいのは、ことがこうなった現在の日本での「放射線による被害」は、相当容赦し、割り引いて発表されているだろうということである(大大大大大爆発)。
 NHKは被災者に「原発事故で今一番心配していることは何ですか」というアンケートをとっていたが、回答の第1位は「仕事と収入」であった。
 そりゃあ、仕事と収入は今日明日の「生きる」に直結する。しかしこれが「放射線による健康被害」を上回ったということに、私は何とも言えない思いを感じた。
 そう、私の死んだ従兄弟(@病死)も、死の8ヶ月ぐらい前に何を心配していたかというと、自分の死後の家賃収入についてであった(大大大大大爆発)。
 「…こういうふうに家を貸すと、これぐらいの家賃が毎月入るから、そうするとそれで…」と計算し始める従兄弟に向かって、「…本気?????」と思った聞き手の私は、恐る恐る質問したものである。
 「あの、あの世でも家賃が入ると思う?????」と(大大大大大爆発)
 どうやら「入る」と思っていたようなのであった(爆発)。
 死んでしまったら、世界のすべてが自分とは無関係になる(と思う)。2ヶ月ほど前に、これまたNHKの朝のニュースでメドベージェフ大統領が何かの会議で真剣に考え、かつ発言しているのを見て、私は思ったものだ。
 「いいなあメドベージェフ、そんなにも世界と関係があって。」と(爆)。
 「暮らしの根幹」「今日明日の生きる糧」ということで、福島県産の野菜や魚についての「風評被害」も問題とされているが、私はこの「風評被害」という言葉にも違和感を持っている。放射性物質が空中に飛散し大地に降り注ぎ、海に流れたことは事実であり、その環境のすべてが当然、放射性物質を受け止めているだろうと思うからである。
 だから魚や野菜が売れないのは、「風評被害」ではなくて、「原発被害」だ、と私は思うのであった(←日本語は正確に使いましょう、日本!!!!!
 あたかも「風評」を流した不特定の国民が悪いようにすり替えているこの言葉を、ぜひ禁句にしてもらいたい。被害をもたらしたのは「原発」からの放射性物質なのであり、そこのところをはっきりしてほしいのであった。
 だから「野菜を売る努力」じゃなくて、国による保護と賠償よ。もおう日本は激烈に貧乏だろうけど、そうするよりほかにどうしようもない。
 と、思うのであった(しみじみ。)
 今日も1日「静謐アメジスト」と過ごし、その薄いラベンダー色に目を凝らした。
 なんというか、内側から外に向かって放出されているような「微妙紫」である(しみじみと観察)。
 ああそういえば、KC JONESさんが被災地と被災者の方に向けて「祈りのグリッド」を組むという企画を発表しておられた。
 私も作ってみようかなあ(爆)。
 そして、4月20日には祈りを込めて、福島に向かって何か(←たぶん愛。)を飛ばすと良さそうなのであった。