マドンナ・ヴェルデ

 このごろはNHKの9時のニュースで「今日の福島第一原発様」のご様子をチェックして(←毎日困難が新しく起こり、全体としては困難の集合体みたいなことになっている【注:私見。】ので、目が離せない。)、そのあとはこの日記を書いて寝てしまうというのが日々のパターンになっているが、昨夜は「9時のニュース」終了後にテレビの前に正座して、1時間近くドラマを見た(爆)。代理母出産について描いた、海堂尊原作の「マドンナ・ヴェルデ」である。
 あらかじめこのドラマを見ようという計画は全くなく、「9時のニュース」のあともテレビを消さなかったというだけなのだが、始まったドラマにすぐに引き込まれてテレビの前に正座したという(大大大大大爆発)。何に引き込まれたかというと、全体の雰囲気の静謐さと画面の美しさ、テーマへの興味、そして松阪慶子の幸せな感じの美しさに、であった。
 美しいわ松阪慶子(大大大大大爆発)。若干ふくよかだというのが何だというのであろう(しみじみ)。「マドンナ」という形容詞がぴったり、まるで絵画から抜け出してきたみたいだぜ(←注:私的感想)。
 何というか、すっごく上質のローズクォーツのような美しさである。第1話では、(超身勝手で偏屈な【←注:私的感想。】)娘を思う「母」の光全開で、その幸せそうな能天気そうな表情と相俟って、大変素晴らしかったのであった。
 代理母出産や生殖医療については、私はどちらかというと反対だ。「どちらかというと」というのは、この問題についてよく考えたことがないためであるが、ただ「子どもがほしい」という親のエゴのために生まれてきた子どもにも人格があり、長年生きていくのだということを考えると、よく検討しなければ生殖医療をすることはできないだろうし、ちょっと「大丈夫ですか?????人生の85年間?????」と思うのであった。
 ただ、「子どもができない」と宣告されてしまうと、かえってどうしても「子どもが欲しい」と切望するようになるその気持ちは理解できる(しみじみ)。…「子どもなんか邪魔。」と思う人や、「今は欲しくない。」という人などに子どもが生まれ、切望している人にはなかなか生まれないことがままあるというのは、何と不思議で奇妙なことなのだろうか。
 それはさておき、松阪慶子が娘から処方されたエストロゲン・パッチを見つめるシーンは印象深かった。
 透明なピンク色だぜ、エストロゲン・パッチ(しみじみ)。第4チャクラ対応する、「愛の色」だなあ(←これも美しい色合いだった。)
 「ヴェルデ」とは「緑色」の意味?のようだが(←って、曖昧知識でございます。間違っていたらごめんなさい。)、そういえば「ヴェルデライト(=グリーン・トルマリン)」もやっぱりハートの石だよね(←注:1人で勝手に納得【おバカ。】)