すっごく幸せ(←おそらく気分)

 福島第一原発の周囲半径20キロを政府が「警戒区域」とする(22日の午前0時から。)というニュースが朝から流れており、私は「やっと立ち入り禁止にしたか。」と感慨深く画面を眺めていた。
 今まで「直ちに人体に影響を及ぼす数値ではありません。」とか「冷静に判断し、落ち着いて行動してください。」とか(←母乳から放射性ヨウ素が検出されたのに、やはりこの科白を言っていたのはひどいと思う。母乳を飲むのはこの世に出てきたばっかりで甲状腺も無防備な新生児なのよ、政府の皆さん【←多くの人がover  60歳】)、「何を根拠に落ち着いて判断すればいいのさ。」とやさぐれてしまうような情報しか流さなかった政府だが、今回のは英断である(←注:私的感想。)。あああ近隣の原発になにかあったら、私だって半径20キロ以内よね(←思い切り立ち入り禁止区域内)。と思いつつ、ニュースを見ていると…
 「警戒区域」対象の人々は、(無理からぬことかもしれないが)自宅に一度帰りたいと切望しておられるようなのであった(しみじみ)。
 政府は「最小限の品のみ持ち出し可」と言っているが、住民の方々の認識と政府の認識には結構なズレがあるようだ(←と推測。しみじみしみじみ。)。
 「夫婦2人で立ち入らなければ何も持ち出せない(←そうかもしれない。貴重品が瓦礫の下だったら。)」とおっしゃる男性、「野球道具を持ち出したい」と目を輝かせる中学生(ぐらいの年に見える男子)」、そして「2時間では屋根の修理もできない」と憤る年配の男性。
 屋根の修理(しみじみしみじみ)。それは無理だと私は思う(←注:私的感想)。
 「いつ戻れるのか、目安を立ててほしい」と地元の方はおっしゃるが、この目安は難しいだろう。何せ同じようなことが起こったのは世界でチェルノブイリただ一箇所、そしてそちらの状況を見れば、事故から25年が経過しても、未だに立ち入り禁止
 なのであった。
 福島第一原発の周囲も同じようなことになるだろうと私は推測する(しみじみ)。地元の方々には激しく怒られるかもしれないが。
 そして、同じようなことは我が身に降りかかる恐れもありありなので、「そのときどうするか」ということは脳内で出来るだけ早くシュミレーションしておくべきなのだが、これといってよい考えも浮かばないのであった。
 そんな今日は、呑気な私のところに、トルマリンが2個届いた。
 去年の夏ごろから私には「第2次トルマリンブーム」とも言うべきものが起こっていて(!!!)、ウォーターメロンの結晶を皮切りに、トリカラートルマリン、シャトヤンシー効果ありのピンクトルマリン、そして今回の2個のトルマリン、とトルマリンが複数やってきている(←「やってきている」って、自分で買っているのだが【自爆】)。私は実はトルマリンにそんなにパワーを感じるわけではないが、かといって感じないわけでもなく、握っていると眠りが浅いのは確か
 なのであった(大大大大大爆発)。
 今回届いたのは、ルベライト(かピンクかシベライト)の石英上群晶と、外側にうっすらとピンク色の層があるイエロートルマリンのスライスだ(しみじみ)。そもそもがシベライト(パープルトルマリン)目的だったのだが、そのサイトにあったイエロートルマリンもどうしても気になってしまい、「…スライスは趣味じゃないんだけどなあ【←すみませんスライスさまに失礼すぎ。】)と思いながら購入したものである。
 届いたので若干ワクワクしながら包みを開いてみると、シベライトかと思ったほうは普通のルベライトっぽく(大大大大大爆発)、石さまには大変申し訳ないが、私は少しがっかりしたのであった。
 「何だ…。写りようによって全然違う色に見えるから、通販はダメなときがあるのよね…。」と(自爆)
 しかしイエロー・トルマリンは画像どおりの色で、その存在感は「スライス」ということを補って余りあり、この石を買ってよかったと私はしみじみ思った(←大喜び)。そしてせっかくだからこの2つの石を敷物の上に並べていたのだが…
 それを見ているうちに、結構な多幸感がハートのあたりから湧き上がってきたのであった(大大大大大爆発)。
 近頃、石と最初の対面をしたときかなりの確立でそうなのだが、後頭部の辺りにも圧迫感とざわざわ感を感じる。それはだいたい半日でおさまってしまう(←ややつまらない。)が、ハートからの多幸感、これはめずらしいかも。である。
 そして、2つの石を見ていて、私は思った。「…この2つの石は、ペアなのだ。」と(←注:無根拠)。
 敷物の上で完璧な調和とコミュニケーションで結ばれているかのように見えるルベライトとイエロー・トルマリン。その様子がまた好ましくて、さらなる多幸感が湧き上がり、「何かわからないけどとっても幸せ。」という気持ちで満たされた私なのであった。
 春は深まり、樹々は芽吹き、いろいろなお花が春の穏やかな太陽光を受けて生き生きと咲いている。
 トルマリンをカバンに入れて車を運転しつつ、私はまた「ああなんかすっごく幸せ。」と思うのであった(←感じたのはたぶん、生きていることの素晴らしさ。)