人のことなのか自分のことなのか?

 今日は結局午後3時過ぎぐらいまで血液が炭酸になっているかのように感じていた(@たぶん疲労。)が、その後買い物に出て1時間ぐらい(!!!)スーパーをさまよったら、身体も頭もはっきりしてきた、不肖・ロズ子○○才(←絶大なり休日の効果【しみじみ休むのが好き。】)。
 今は相当「休まった」感覚で、全体的に良い感じである。これで月曜日は、気持ちは重い(←怠け者であるため、週始めは特に気分がロー。)が身体は軽い、のであろうな…(しみじみと予測)。
 ところで、私はあるスピリチュアル系のヒーラーの方のブログを時々読んでいる。
 「時々」というのは、毎日読むほどには興味がないが、時々は興味があるということだ(大大大大大爆発)。そしてその「時々」の興味とは、「今日もふわふわしたことを書いてんのかなーーーーー(そして、いつまでふわふわしていられるのかなーーーーーーー。)」という、他人様に対してまことに失礼かつ大きなお世話かつ意地の悪い「興味」なのである。(自爆)
 そのブログは、大変に甘くて美しく、明るい幸せ感に満ちている(しみじみ)。そしていいことしか書かれていない。
 私は妬んでいるのであろうか。(←ありうるな、それは【しみじみと自分の内面を見つめる。】)
 まあそのヒーラーの方の明るくて幸せで甘そうな日常を妬んでもいるのかもしれない(羨ましいと感じることは確かにある。)が、どうも割り切れないところもある。そして「いつまでそうしてふわふわキラキラしていられるのかしら(もっとも、職業が「ヒーラー」ということになると、これはもういいことしか書けないだろうな職業的&対外的に。)。」という最初の問いに戻っていくのだが…
 昨日偶然開いた本に、その答えが書いてあった(ように思えた。)。吉本ばななの『向こう側の幸せ』という本で、それを読む気は全然なかったのに偶然開いたページには、こう書いてあった。
 「みちこさんは玄米菜食で、長い間ヨガを習っていて、夜はうんと早く寝て朝は太陽と共に起きて、瞑想も世界平和のための祈りも欠かさず、決して怒らず、愚痴らす、人の悪口も言わなかった。そんな非のうちどころのない生活をしていたのに、なぜか乳がんになってしまったのだった。」
 「私が術後のお見舞いに行ったとき、みちこさんは強烈に、猛烈に怒っていた。『今の状況に対する怒りというよりも、これまでに自分に嘘をついて、ためにためていた怒りが出てきたのよ。』とみちこさんは言った。」
 「みちこさんはまだまだ怒り狂っていた。『なんのために健康に気をつけていたんだろう!』と言うのだ。」
 「『したいことがあるからじゃなくて?』と私はたずねた。私は少なくとも、自分の毎日の仕事や遊びの楽しさの質をあげたいから、いつでも健康でいたいのだ。」
 「『違う、私は、いつかどこか遠い将来のすばらしい自分のために無理して気をつけていたのよ!ばかだったわ!』」
 …今こうやって入力してみると、「ふわふわのヒーラーさんに感じる気持ち悪さの原因の回答」というよりは、「今の不肖・ロズ子○○才の生き方の方向性のヒント」といったほうがいいような文章かもしれない(しみじみ)が、見つけたときには「ブログを読んだときに感じる違和感」への回答だと思った。
 「いつかどこか遠い将来のすばらしい自分のために」(しみじみしみじみしみじみしみじみ)。あるなあ、それは(しみじみしみじみ)。それと、どんなに謙虚な感じで文章を書いても、何となく伝わってくる(ような気がする)「こうしたらいいよ」「ああしたら素敵だよ」「みんなこうしようよ。」という上から目線。と感じる私は、相当にひねくれているのだろうか。
 まあでも、同じようなことを伝えていても違和感を感じない人や文章もあるわけだから、実際それが発せられているかどうかはまた別として、私はそのブログに「偽善」の雰囲気をたぶん感じているのであった(大大大大大爆発)。
 これは「感じる」私の側の問題なので、申し訳ないという感じでもある。読まなきゃいいのに、気になって時々読みに行く自分というのもどうだろう(←もしかして結構ヒマ?????自分?????)。
 まあ、読んでもあんまりおもしろくもない(大大大大大爆発。すみません本当に、私的感想でございます。それに人様の文章について、もちろん何か言えた立場でも能力でもないのでございます【反省。】)ので、これからも1週間に1回ぐらい見に行く程度(爆。見に行くな。)だろうとは思うのだが、もおうなんだかなあ、美しけりゃいいってものでもないんだな(@あくまでも私の好みにおいて。)。と感じたので、書いてみたのであった。(爆発)
 前述の「みちこさん」は、乳がん治療終了後、家で「流れるようにだらしな」い生活を送るようになり、肉も食べお酒も飲むようになり、「眉間のところの力が抜けてさっぱり」し、「どうしてもっと前からこうやって好きに暮らさなかったんだろう?」と後悔して、きれいな涙をひとつぶ流すのだ。
 いやーーーーーーーー(←なんとなく自分を反省。)。私は概ねやりたいようにやっているのだが、それでも時々、「いつかどこか遠い将来のすばらしい自分のため」に、無理しているときがあるのではないだろうか。
 だいたいは流れるようにだらしないけどね(←いや、それはもっとなんとかしましょう、自分!!!!!!!)。と思いつつ、今日も青サンゴを握って安眠しよう。と思うのであった。(海の中を想像想像。)