この空気には

 このごろ、福島第一原発の漏れ漏れ放射線状況にもすっかり慣れて(爆。慣れるな!!!!!)しまい、「まあしょうがないか、どこに逃げようもないし。」というような、なんとなくダメダメな流され心情に至っている、不肖・ロズ子○○才。
 それでは放射線量は低くなっているかというと、そんなことは全然なさそうで、むしろ日々高くなっている(大大大大大爆発)。これは(低めに線量を出しているという噂の)文部科学省データによるものなのだが、この5日間ぐらいは、我が地域の放射線量の数値は上昇上昇また上昇。上昇の一途である。 
 はっきり言って、東京都新宿区の放射線量と何も変わらない(大大大大大爆発)。私はある医師のHPを毎日読みにいく(@東京在住)が、その医師が言うに、「東京都の放射線量は、都民全員が月一回マンモグラフィを撮影されている被曝量に匹敵し、1年間これを浴び続けると寿命が10.8日間短縮される計算になる」のだという。
 これはかなり深刻なんだってさ(大大大大大爆発)。その医師は、「いつまでもこの状態が続くようなら、考えないといけないと思っています。」と書いておられた(←300キロ圏外へ脱出?????)。
 今日も大粒の雨が降り、雨そのものは好ましいのだが、「…この雨粒に放射性物質が落とされて、地表の放射線量が高まるのか…。」と思うと、あまりおもしろくもない(爆)。雨そのものは銀色に光ってきれいなんだけどなあ
 冷却されているとはいえ、燃料棒の核反応は毎日起こり続け。放射性物質は毎日壊れた建屋から発生し続け、日本全土、ひいては世界を駆け回り…
 何せ半減期は2万4千年(@プルトニウム)。「なくなる」ということは、当分ないのであった(爆発)。
 繰り返すが、かといってどうしようもない。どうしようもある人は、とっくに国外でしょうなあ(しみじみしみじみしみじみしみじみ)。
 仕方ないので、石を愛でつつ、いつもどおりの生活を送るわけだが、私個人の考えを言えば、とてもとても大変だし健康被害も果てしなく大きいけれど、今回のことが起きてよかったと思っている(←注:ものすごく語弊がありそうな表現。)。
 これがなければ、日本はベトナム原子力発電の技術を販売するところだった。これがなければ、将来的には発電の50%を原発に依存する計画だった。これがなければ、浜岡原発は停止しなかっただろう。これがなければ、原発のことを考える人も少なかっただろう。
 これがなければ、これがなければ………。
 ここまで当事者になっても、まだ原発に経済的な夢を持つ(人もいる)日本という国。コストが安いなんてとんでもない、東電の決算をご覧下さい、だ。
 毎日放射性物質を含んでいそうな空気を吸いながら、そして避難区域の方々が家に(持ち出しのために)帰った時の写真を見て心を痛めながら、それでも私は思うのであった。
 「まさにタイミングとしてはギリギリいっぱいだった…。でも、払った犠牲と代償は大きすぎた…。」と。
 放射線を防ぐ石というのは、たぶんないだろう(←と、乱暴に推測)。
 でも、「こういう状況になって、何を学び、どう生きていったらいいのか。」を石に問いかけるのは良さそうな気がする。
 のであった(大大大大大爆発)。
 聞いてみよう。石じゃないけど、青サンゴに(←有機有機物。)。