自分で考えよう(是非に。)

 このところ、村上春樹の『1Q84』第1巻を読み返している、不肖・ロズ子○○才。
 『1Q84』は2年ぐらいかけて(!)全3巻をやっとこさ読み通したのだが、第1巻では4月から6月の物語が展開するので、今の時期に読み返している。もはやストーリーはわかっているので急いで読む必要がなく、ゆっくりと瞑想的に読んでいる(大爆発)のだが、書かれている内容に感じ入ることしきりで、まさに「味わって」いるところである。
 今日は「身体は人間にとっての神殿だ。…たといそこに何を祀るにしても。」というような記述があり、私は「うーーーーーーむ。」と考えた。
 私も身体は大事にしようと思っているが、この身体が神殿だとして、私がそこに祀ろうとしているものとはいったい何なのだろうか(大大大大大爆発)。
 漠として形がないね、全然(←自己評価。)。神殿は建設中、ご神体はまだ茫洋としています、では全然心もとないのだが、無理に形をつけてもしようがないし、もうちょっと漂うか…(大大大大大爆発)。
 そして改めて考えた。私が祀りたいものは、いったい何なのだろう。
 それとももしかして、「祀りたいもの」なんてないのだろうか(←ありうるな、それは。)。
 いずれにせよ、「祀りたいもの」に石が関係していることは間違いないだろう。石はスピリチュアルに関係し、スピリチュアルはアセンションに関係し(←注:私の場合。)、震災も原発事故も、みんなアセンションに関係しているような気がする
 のであった(大大大大大爆発)。
 しかし原発事故の当事者国・日本(の政府)は、夏に向けて原発を再稼動させる意向だし、玄海原発の市長さんも「経済のために」再稼動を認める方針のようだ。相当なおバカものである(←感想。)、日本(政府)と経済第一主義の人々。
 ドイツは原発止めるのよ(←ちょっとフランスから電気を輸入だけどね【とほほ。】)。スイスはフランスの原発にも憂慮しているのよ。
 ああそれなのにそれなのに、福島第一原発が全然、ぜんっぜん収束の気配も見せない現段階で、「原発再運転」を経済のために唱える君たちよ。
 原発はトータルでは未曾有の大金がかかる致命的金食い虫で、日本には原発を制御できる専門家は1人もおらず(←もしかして世界にも。)、放射線による健康被害の人体実験を(期せずして)日本がやっているので、世界中がそのデータを欲しがっているなんてことは…
 お年寄りにはカンケイないのかね(大爆発)。政治は春秋に富む若い人にやってもらうべきなのではないだろうか。
 と、私は思うのであった。
 石を握って祈ろうっと、日本に住む人全員が、自分で適切に判断して行動することができるようになりますように。って(大大大大大爆発。おまえもな、自分!!!!!