実家ロックフェスティバル

 今日は日曜日。不肖・ロズ子○○歳は、予定としては現在行方不明中のアフガニスタン産のローズクォーツを捜索するつもり、であったが、習い事の復習(←爆。要するに趣味である。)やらサンデー・モーニングを見る(←原発チェックである【大爆発】)やら買い物に行くやら夜は近隣のお祭りに行くやらで、1日中あれこれ他のことをし、結局今日も捜索しないまま終わった。
 アフガン・ローズちゃん!!!!!!ゆっくり探すから、待っていてね〜〜〜〜〜(大大大大大爆発)。
 私は家にいるのが大好きな家虫なのに、この夏は近隣のお祭りを全部制覇(@成り行き。)中である。3回目だ、これで(←激疲労。)。
 しかし、今日のお祭りの花火は大変素晴らしかったのであった。(7色の宝石のようだった【しみじみしみじみ】。)
 携行石はダイヤモンド原石とトリカラー・トルマリン、いつもの「カバン石」である。石たちもカバンの中で美しい花火を感じて、きっと喜んでいるだろう(と想像)。
 さて、そんな花火帰り、私は車の中でNHK−FMを聞いていた。
 村上春樹の『1Q84』にも再々登場するNHK−FM放送だが、私は最近まで聞いたこともなかった。今まで車に乗っているときは、CDを聴いているのでなければ、カーナビのテレビを見ていた(爆)のだが…
 7月24日の完全地デジ化で、カーナビのアナログテレビは映らなくなってしまったのであった(大大大大大爆発)。
 チューナーをつければいいのだが、そこまでしてカーナビのテレビを見る気は全然ない(爆)。だいたい、経済産業省だと思うが、勝手に日本中を地デジ化してテレビ需要を増やし(ついでにアナログテレビのゴミも増やし)、経済を回そう(はっきり言うと、業界と富裕層を儲けさせよう)というその根性が激気に入らないのである。
 地デジなんて、離島では映らないとか、天候不良だと映らないとか、ロクなことはないじゃないか(大大大大大文句。)。「消費拡大」で経済を回そうだなんて、その考え方が間違っていると私は思うぞ(もう一度大大大大大文句。)
 というわけで、「この機にテレビを見るのをやめようか」とまで思ったがさすがにそこまではできず、しかし第2テレビまで地デジ化してなるものか。ということで、カーナビは放置していたのである。
 さて、テレビが見られないとなると、残るはラジオだ(←幸いアナログ。)。たいした考えもなくNHK−FMを聴いてみたところ、これが存外におもしろかった
 のであった(大大大大大爆発)。
 公正中立そうな雰囲気のニュースも聴けるが、だいたいはクラシック音楽の番組をやっている感じ。しかしこの間はものすごく素晴らしい音質で「冬のソナタ」の主題歌が流れ、私は耳を疑うとともに、そのゴージャスかつメロディアスな旋律に聴き入ったのであった(←素晴らしかった)。
 クラシックも(私にとっては)変わった音楽をマニアックな解説つきでやっている。「20世紀の音楽」とか、それってクラシック?????
 みたいな感じなのであった(爆発)。
 そして花火帰りの今日。NHK-FMをつけると、ものすごく力の抜けた男性の声で、「…次の柴田恭兵の楽曲は、だんだん飽きるところを聴いてもらいたいんですよね…」などというアナウンスが入る。な、何だ、この力の抜けきった音楽番組は…(さあ。)
 そして田口トモロヲ(←私はこの人については、このインパクトある表記の名前しか知らない。)の「遅刻」なる曲がかかる。「時計がなくても死にゃしねえ。」と歌うこの曲、「え、言い訳でいいわけ?????」で終わるこの曲は、い、いったい…
 何なのだろうか(大大大大大爆発)
 わけもわからず聴いているうちに、だんだんと東北出身のミュージシャンによる東北応援(?)企画番組のようだ(←注:あくまでも推測。)とわかってきたが、それにしても悲壮感も力が入ったところも「みんなで頑張ろう」的な感じも全然ない。漂うように流れるように、全く力が入らないまま、しかし故郷の東北をほのぼのと愛している気持ちだけは何となく伝わってくるのであった。
 最後に「アンコール」とかで延々と歌う曲は、以下のような感じであった。
 「♪福島に♪♪帰ったら♪♪♪ずんだもち食べる〜〜〜♪♪♪」「宮城に♪♪♪帰ったら♪♪♪くるみ柚餅食べる♪♪♪」
 番組終了までこの調子で歌い続け、最後に「それではサウンドクリエイターズ・ファイル、実家ロックフェスティバルを終了いたします。ご案内は工藤官九郎、○○○○、××××でした」(←クドカンの名前しか知らなかった私。しかも、クドカンについても名前を知っているただそれだけ。)と言ったのであった。
 実家ロックフェスティバル(しみじみしみじみしみじみしみじみ)。何だか知らないが、力の入らない愛って偉大ね。
 と、激感心しつつ家に帰りついたのであった。(爆発。新世界新世界【爆】。)