たぶん知ってると思うけど(爆)

今日は「スピリチュアル地震予報」該当日であり、またペルセウス座流星群極大日に近い日(爆発)。不肖・ロズ子○○歳は、遅い時刻に帰宅し、大変冴えた光を放つ満月(?)を見上げた。
 スピリチュアル地震予報については、(地震がないこともなかったが)「当たった」とはやはり言えまい。地震はないほうがいいのであり、当たらないほうがいいに決まっているのだが………
 この「スピリチュアル地震予報」については、ちょっとした騒ぎになったようなので、その点がやや微妙
 なのであった(爆発)。
 ペルセウス座流星群については、私は「宇宙からの手紙」と思っている。毎年観察するのだが、今年は蚊が本気を出している(爆)ので、観測はちょっと厳しいかもである(これも大大大大大爆発)。
 多くの方がそうなのではないかと想像するのだが、このところ私の、石を購入する意欲がやや弱くなっている。「もう充分持っている上に、手持ちの石の中に重要なものがある」という気がし、アフガニスタンローズクォーツのように、私を呼んでいる(爆)石が家の石置き場の中にあると思うのだ。
 そしてさらに、「スピリチュアル本」を購入する意欲も弱まっている(大大大大大爆発)。これは3.11以降顕著で、要するに「誰も地震を予言しなかった」という事実(爆)が、私をして既存のスピリチュアルから距離を置かさしめている
 と思うのであった(爆発)。
 実は今日も会社帰りに書店に立ち寄り、スピリチュアル本の棚を見た。「お盆前だし、3日間のお休み中に読むのによいスピリチュアル本はないか。」と思って立ち寄ったのだが…
 目に付く本をパラ見しても、なかなか「これ」という本がない。そして私の脳内では、「この情報は陳腐だ。」というささやき声がするのである。
 そう、自分でも不遜だと思うがあえて書くと、「私の奥底に答えが沈んでいる…。私はもう知っている…。ただ意識の表面に浮上しないだけ…。」という思いが、しきりにする
 のであった(爆発)。
 だから私が求めている本は、私の意識の表面に出てこず、従って言語化できない「何か」を言語化し、文字で確認させてくれる本なのだが。
 それは今日も見つからず、いつ見つかるとも知れないのであった(爆発。)
 本を探すのが早いのか、それとも瞑想して自分の奥底を見つめる努力をするほうが早いのか。(←さあ。)
 自分の奥底の何かを浮かび上がらせ、見つめるためには、どんな石を握ってみればいいのだろう?????????
 わっかんないわあ(大大大大大爆発)。というわけで、今日も流れと成り行きで何かの石を握りつつ、「私が奥底で知っているものは何???????」と問いかけ、それを見つけるために深く潜る所存なのであった(爆発。潜ったからって目的のものが見えるとは限らないけどね【それに、どの石を握ったらいいか、よくわからないや《自爆》】)