修道院の断食(爆発)

 積み残し仕事&新規仕事をたくさん(←注:解決・処理能力を超えて、という意味である。)抱え、今日も1日(自分なりには)仕事に励んだ、不肖・ロズ子○○歳。
 仕事の在庫がなくなったら、相当気分がいいだろうね。という見果てぬ夢を見るわけだが、もちろんそんな見込みはほとんどない(しくしく)。
 溜めすぎているのである。(大大大大大反省。)
 で、「残業すればいい」と安易に思っていたが、脆弱な○○歳なので、近頃では(いや、もしかすると以前から)午後5時をまわると身体が錆びついたように重くなり、頭も回らなくなり、やる気もゼロになる(爆発)。というわけで、今日も午後5時半ごろ、会社でだらだらしていたが、突然思った。
 「午後6時には何もかも投げ打って、帰ることに決めたらどうかなあ。」と(大大大大大爆発)。
 仕事は私の1日のほとんどを占めているが、当然のことながら生きるために仕事をしているのであって、仕事をするために生きているわけではない(爆)。仕事を通じて(多少なりとも)人様のお役に立てるように気持ちと働きの上で努力することは大切だとは思うが、どうせ午後5時をまわると身体が動かなくなるんだし、ここは一つ思い切って
 帰っちゃうことに決めちゃえ。
 と、思ったのであった(自爆)。
 というわけで、明日から(実は今日も)午後6時には会社を出られるように努力する。それは、できるだけ効率よく仕事をする
 ということにも繋がるのであった(爆発)。
 そんな今日は、お昼にはKCさんから購入したトリカラー・トルマリン(ブルーキャップ・トルマリン)を握りつつ、『修道院の断食』(創元社)を読んだ。
 お昼ごはんを食べつつ断食本を読むというのも何なのだが、この本によると断食には神秘の力があるようだ(と推察)。そしてその神秘の力とは、詰まるところ自分の魂の声を聞くということ
 のようなのであった。(しみじみ。)
 根拠はないが、この美しい装丁の本と、トリカラー・トルマリンとはよく似合う。共通点は、静謐だが明るくほがらかな美しさといったところか。
 私には断食は無理だと思う(日曜日の「お昼ご飯抜き」だけならいけるかもしれないが、そんなことをしたら夜に過剰に食べてしまいそうだ【おそらくは絶対に《自爆》】)が、「ベルトがきつくなると魂が鈍っているように感じる」とか、「そうねえそういうこともあるかもしれないわねえ。」と感じられるような記述がそこここに見られる本なのであった(しみじみしみじみしみじみしみじみ)。