節制と中庸

 今日は3連休の中日。しかし、不肖・ロズ子○○歳は、しょうがない用事があって、ほぼ丸1日外出していた。
 こればっかり書くが、私は家虫なので、休日の外出は嫌いだ(大大大大大爆発)。家でまったりしていたいぞ。(←ものすごい「休みたい」願望【爆発】)。
 やっとまったりできたのは夜で、私は今日も今日とて創元社修道院ライブラリー、『修道院の医術』を読んでいた。
 今日読んだところには、「節制と中庸」の大切さが書いてあり、本日は既にもう食べ過ぎた感じがしていた私は、本の前に深く頭を垂れた。
 ねーーーーーー、明日は断食してもいいくらいだわ(大大大大大爆発)。リンゴダイエット、じゃない、「リンゴ断食」でもしようかなあ(もう一度大大大大大爆発)。
 そんなこと、できようはずもないのであった。(←すぐにお腹がすく私【爆発】)
 食べることにも、眠ることにも、出世欲(!!!)にも話すことにも働くことにも、何もかも「節制と中庸」が大事なのだそうだ(しみじみ)。不肖・ロズ子○○歳、だいたいは何事においても貪欲で極端で思いやりのない女であり、創元社修道院ライブラリー」さまにはひたすら頭を垂れるしかない感じがするのであった(@反省の意。しかし「意」を感じるのはカンタンだが、それをもとにした行動の変化を来たすこととなると、これがけっこう私にとっては難しいのであった。)
 今も睡眠欲に激支配されており、すぐに布団に倒れこんで眠りたい欲望に駆られている(しみじみ)。…目もくっつきそうだ…。
 ああでも、まだお腹には晩ご飯で食べたものが消化されずに存在している感じだし、今眠るのはまずいのでは。
 と思いつつ、やっぱり欲望に負けて、今から石を握ってちょっと仮眠する予定
 なのであった(爆発。気がついたら19日の朝だった、なんてことがないようにね、自分!!!!!)。
 そうそう、今日「修道院ライブラリー」から学んだ一番大事なこと、それは、
 個人の感情や行動からすべての物事が始まるので、その意味で節制と中庸は大事、ということなのであった。
 なぜならば過剰の裏にはかならず不足があるから(大大大大大爆発)