ヒルデガルト・フォン・ビンケン

 このごろやっぱり創元社の「修道院ライブラリー」を読んでいる、不肖・ロズ子○○歳。今は『修道院の医術』を読んでいるのだが、昨日読んだところに(私にとっては)興味深く、「そうよねえ〜〜〜。」と共感できる記述があった。
 書いてあった内容は、だいたい以下のようなことである。
 「聖ヒルデガルトは当時、『ドイツ人の女予言者』とも呼ばれており、そのため現在のニューエイジなどでとりあげられ、金儲けに利用されていることがあるので、扱いには注意が必要である」
 金儲けの道具(爆発)。
 そう、私は「本物のスピリチュアル」はお金を要求しないだろうと常々思ってきた(大爆発)。どんな美辞麗句を並べようとも、やはりお高い代価を要求するのは、結局は「金儲け」だろうと(爆発)。
 「修道院ライブラリー」を読むにつけ、「本物のスピリチュアルはやはりキリスト教や仏教などの、スタンダードな宗教(の基本及び核)なのでは。」という思いが少しずつはっきりしてくる。第一、現在のスピリチュアルが言っていることのほとんどは、どうやら「修道院ライブラリー」に書いてあるようなのだ(←注:私見。)。
 キリスト教がそんなに古くから言っていること(たぶん仏教も、もしかするとイスラム教も。)を繰り返し言っているだけなのか、ニューエイジ(←違ったらごめんなさい。でもたぶん違わないであろう。)。そして、そして、
 やっぱりお金儲けに走っているように見えるのは、我が僻目なのかああああああ〜〜〜〜〜っ!!!!!!!!!(いややっぱり、そうでもないだろうな【と推測。】)
 以前「『世の中バカばっかだ。…もっと騙してお金を儲けてやれ。』と少し賢いバカが思って、いろいろ騙しているケースもあります。」というような文章をどこぞのサイト(←どこだかはっきりわかっているのだが、何となくぼかし書き。)で読んだ。そのときもそう思ったが、やっぱりそういうことなのかもしれない。
 石業界もそう、だとは言わないが、近頃需要は落ち込んでいると見えて、私が時々石を買っていたサイトも大幅値引きセールを行っておられる。それはもう最初の価格よりすっごくお安くなっているのだが
 いくらお安くなっても、時期と気持ちが合わないと買う気が起こらないのは、大変不思議なことなのであった。(しみじみ。)
 私自身、既にさんざん石を買った挙句ではあるのだが、「もうこれ以上石はいらないかな。」という気持ちになりつつある。「修道院ライブラリー」に「持っているものに感謝する」「節度」ということが何度も出てくるが、既に私の石の数は「節度」を超えまくっているけれども(爆)
 石が力を失ったということでもなく、石にパワーがあるという幻想から覚めたというわけでもなく。
 なんとも表現できないのだが、とにかく次の段階へ進みつつあるような気がしているのであった。(@世界。)