秋分の石

 今日は秋分の日。不肖・ロズ子○○歳は、習い事の復習をし、おはぎを食べ、父のお墓に詣で、そして午後はバイカラー・トルマリンを握って2時間眠った(爆発)。
 ピンクとイエローのバイカラー・トルマリン。イエローが「昼」を表すのはいいとして、夜がピンクとは 
 ゴージャスだなあああ(大大大大大爆発)
 お墓参りや買い物のため、時折外に出る。空気は澄み空は青く、気温は低めで爽やかだが、夏のような積乱雲が出ている(しみじみと空を観察。)。
 車を走らせながら外の景色を眺めていると、これらすべてを神様がおつくりになった(←注:ある意味比喩表現。「あらかじめ与えられている」と言ってもいい【爆発】)、という思いが強くなってくる。被造物で溢れる世界は何でもそろっている上に、なんて美しいのだろうか。
 石ももちろん神さまの被造物(しみじみ)。ということになれば、アンダラやアゼツライトや、その他の「高波動」石を、自分を特別化するために追い求める必要はなかったのだ、と思われてくる。
 なぜなら、すべてが等しく神の被造物であり、奇跡なのだから(爆発)。
 「うーーーーーーん(そうは思っていたけど)ある種の石を『波動が高い』と珍重するのやっぱりエゴで、また金儲けがからんでいたな〜〜〜。」と秋空を眺めつつ改めて思う。『修道院ライブラリー』から「修道院のシスターやブラザーに起きる奇跡」を想像してみるに、お金は全然関係ないようだし(なにせ修道院の第一コンセプトは「清貧」である)、また奇跡自体に価値を置くというわけでもないようだ。
 帰宅すると既に夜。秋分の空には昨日同様、空の低いところから高いところまでたくさんの星が瞬き、星の数の多さに改めて驚くとともに、星座の形を目で追う私である。
 そして急に思った。「そうだ、秋分の石として、ヘリオドールを出してみよう。あれは太陽の石だしな。」と(爆発)。
 去年の12月ごろに購入し、眠る部屋に置いておいたヘリオドール(ゴールデンベリル)だが、取り出して眺めてみるとイエローがとても美しく光るように感じられた。
 まさに秋分の石にぴったりだぜ(大大大大大爆発)。
 イエローは収穫とか豊饒を想像させるし(爆)。手に伝わる振動も活発なこの石を、今日は握って眠ってみるのであった。(←計画。)