影ひとつ多く、光ひとつ少なければ

 今日は月曜日。昨日石を買ってしまったため、「私はいつも会社に行くのを苦行と考えていたけど、会社に行くからこそご飯も食べられるし、石も買えるのよね(大大大大大爆発)。ものすごくありがたいことだと思って仕事をしなければ。」などと考えていた、不肖・ロズ子○○歳。
 めぐり合わせ(爆)により、今日は朝からいろいろすることがあったのだが、私に生活の糧をもたらすありがたい仕事…であるにもかかわらず、私のテンションはだんだんと落ちてきた。どういう感じなのかというと、「寂しくて、物悲しい」という感じなのである(爆発)。
 何で寂しくて悲しい気分なのか、具体的な理由は全然わからない。やや気温が低く、雨がぱらつくような曇天であるせいなのか、それともまさか更年期による気分障害なのか(爆発)。
 「まーーーーーーーさーーーーーーーーかーーーーーーー、更年期鬱ってこんな感じ?????????(大大大大大爆発)。でもそういえば、理由もなくやる気に欠けて(←この間はなんと、習い事に行くのが面倒だった【爆発】)、わけもなく物悲しいんだよね。」と、心中で自分の気分を吟味する私である。
 結局気分はそのままで昼食時を迎える。こんなテンション激低の日には、いったいどの石を握れば少しでも助けになるのだろうか??????
 少し考えた末、ピンク&イエローのバイカラートルマリンの結晶を握った。「愛」と「光」の柱のような、柔らかい光のこの石がよいだろう、たぶん…。
 で、この石と昼食に少し気分を治してもらうも、やはり物悲しいまま午後に突入、である(爆発)。物悲しいまま顧客対応し、物悲しいまま会社内を歩き、とにかく物悲しいまま午後2時ごろを迎えた。
 そこに同じような物悲しさ(←こちらははっきりとした原因あり。)を抱えた同僚がやってきて、2人でこの「落ち込み」について話しているうちにテンションが上がってき、本日の「物悲しい大会」は午後3時を待たずに終了
 したのであった。(大大大大大爆発)
 …ま、「物悲しい」とか「寂しい」とか感じているときは、たぶん比較的余裕があるのだろう、自分(しみじみ)。
 だって何かに追われているときは、すっごい前のめり行動だもんね!!!!!!(大大大大大爆発)
 物悲しさから解放され、明日の仕事の段取りをしているうちにとっぷりと日がくれ、気づいたら午後7時(爆)。「もう今日は疲れたぜ。」を思った私は会社をあとにし、買い物をしたあとでNHK-FMをつけた。
 すると今日の「クラシックカフェ」(か何か)では、ドイツの現代音楽をやっているではないか(←それって「クラシック」なのか?【さあ。】)。そしてとても脱力しているかニュートラルであるかどちらかの解説者の声が流れてきた。
 「今日の音楽は現代音楽で…ドイツの…『影ひとつ多く、光ひとつ少なければ』です。このタイトルはバイロンの詩『光の中を歩む乙女』の一節、『影ひとつ多く、光ひとつ少なければ、この絶妙の典雅さは失われるだろう』からとられています。」
 影ひとつ多く、光ひとつ少なければ(大大大大大爆発)。すっごいニューエイジみたいなタイトルだぜ(もう一度大大大大大爆発)
 音楽のほうは私には前衛的すぎて、すぐに手持ちのCD(@ピアノ曲。)に切り替えてしまった。
 不協和音に満ちてるの(爆)。黒板を爪でひっかくような、すっごい神経に「来る」音楽だったぞ!!!!!(←注:私的感想。)
 美しいピアノ曲を聞きながら、また、「影ひとつ多く、光ひとつ少なければ」のフレーズを思い返しながら、昨日購入した石を引き取りに行く。そして暗い社内で包みをあけ、暗闇で石を眺めたのだが、
 暗闇でも充分にわかった。この石の色艶はとても美しく、この石は素晴らしい!!!!!!!!!(←暗闇の中での確信。)
 どうして見えなくても色が「見える」のか、そして「感じ」られるのか、私にはわからない。
 もしかすると「皮膚」も、色を「見て」いるのかもしれないし、石の放つエネルギーや気を「感じ」ているのかもしれない。(と想像。)