まさかディセンション(いやいやそんなはずは)

 昨日までのストレス的会社生活から今日はちょっと脱却し、少し「中休み」している感じだった、不肖・ロズ子○○歳(←比較的穏やか【爆発】)。
 まあたまには休憩もないとねーーーーーーーっ。というところである。怒鳴り同僚は今日も(他の人々を)ヒステリックな声で怒鳴っていたし、見張り同僚に至っては夜に倒れそうになるほどしょうもない用事で卑屈な電話をかけてきて、そのあたりが「ちぇっ。」という感じだったが
 まあよしとするのであった。(気にしない、気にしない。)
 週末にもなるし、束の間の休息だ、自分(しみじみ)。私にはピンク・スギライトもあるし、テンペスト・ストーンだってある。
 大変心強いし、なぐさめられもするのであった。(しみじみしみじみしみじみしみじみ。)
 今日はものすごくお腹がすくということもなく、その点でも大変平和である(しみじみ)。昨日は暴力的に(←注:比喩。)お腹がすいていたのだが、今日のこの感じと比べてみるに、「お腹がすく」要因は疲労とストレスなのだな(←推測。)。
 てことは、ストレスはきっと「ダイエットの敵」なのであった。(大大大大大爆発)
 今日は夕刻も意識はクリアで、いくらでも仕事ができそうな感じであった。一刻も早く帰りたい、もう何をするエネルギーもないし。などと思った昨日の同じ時間帯とは大違いである。
 精神疲労が肉体の栄養摂取と休息を要求する(しみじみ)。身体と心が連動しているとはいえ、不思議なメカニズムであるように思われるのであった。(しみじみしみじみしみじみしみじみ。)
 怒鳴り同僚や見張り同僚は波動が低そうだと思う(爆。すみません失礼で。)が、逆に思いやりに溢れ、大変波動が高そうな人々も会社には存在する。そして、その二極化が進んでいるように思われる。
 これがアセンションのプロセスなのだろうか(←さあ。)。もしそうだとすると、怒鳴り同僚や見張り同僚がいつまでも視界に入ってくるようでは困るのだが、自分(ディセンションディセンション【何となくがっくり。】)。