霊的読書

 今日の我が地域は割合よいお天気となり、午前中は例の「天使の梯子」と呼ばれる太陽光が雲間から(しかも垂直に)射しているのが見えた。
 「天使」だなんて、ここは日本だぜ。と思う私だが、そんな「日本の私」が最近愛読しているのは修道院ライブラリー、そして聖書(しみじみしみじみ)。…考えてみれば、以前からキリスト教に興味はあったのだが、でも聖書を読んで「おもしろい」とおもうのは初めてかもである。
 何せ今まで「すっごくつまらないわねえ、聖書って本は。」と思っていたのだから。(大大大大大爆発。すみません無知蒙昧な私の罰当たり科白でございます。)
 『修道院ライブラリー』の記述によると、聖書を繰り返し読むことで、魂が広がるのだそうだ(爆)。それはつまり、「変性意識」とか「意識の拡大」とかと同じことなのかもしれない(いや、違うのかもしれない)が、石とワークすることや瞑想することやヨガとか修行とかで拡大しようとしていた意識が聖書を読むことで拡大するのなら
 こんな結構なことはない。と思うのであった。(←すみません「楽だわあ。」という発想です【大自爆】)
 お昼は聖書ならぬドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読みながらピンク・スギライトを太陽光下で眺める。ドラッカーは「真摯さ」という点で、社会の聖書だろう、たぶん(と推測)。
 そして本日の柔らかな(そして黄色っぽい)太陽光下では、ピンク・スギライトはとても美しく、透明感あるマゼンダ色に見えたのであった。
 私は石をたくさん所有しているし、これからもまた新たに買うであろうが、聖書においては「何も所有するな」「天に宝を積みなさい」と書かれている(爆)。
 そうね(石についてはイヤだけど)何によらず手放していくと、自分が自由になり、本当の至福と満足を味わえるのかもしれない。
 と、聖書を読みながら想像する私であった。(←何にでもすぐに影響される【爆発】)