愛を考える

 今日から明日未明にかけて、ふたご座流星群のピークだそうで、我が地域も(夜空の)お天気が良さそうだが、寒いので外で夜遅くに流星群を見る根性が全然なさそうな、不肖・ロズ子○○歳(←夜は寝るしねえ【しみじみ】。)。
 布団の中でピンク・スギライトを握りながら、夜空に流れる星々を「想像する」ということになりそうだ。ピンク・スギライトを「私のオンリーワン石(かもしれない)」と認識してから1ヶ月ぐらいたつと思うが、この1ヶ月の間、他の石を買おうとしたり、「ちょっと飽きたかも(←すみません【大爆発】)。」と思ったり、例によってふらふらしていた私である。
 光源によって赤みを増したり青みが強く見えたりするピンク・スギライト。太陽光で見るか、蛍光灯下で見るか、白熱灯下で見るかで相当印象が違うのだが、一番美しいと私に思えるのは太陽光下で、透明感のある濃いピンク色の部分がそれはそれは美しい 
 と思うのであった。(大大大大大爆発)
 そんな今日は、愛についていろいろ考えた。
 「考えた」といっても、ずーーーーーっと熟考していたわけではない。時折「愛とは」というようなことが脳内にひらめき、そのひらめきとともにピンク・スギライトが想起されるのである。
 愛は最初からなかったし、今はさらにない。
 執着は愛ではなく、自己愛である。
 愛は恐れる対象ではない。
 愛は嬉しく楽しいもので、心に光をともし人を幸せにするもの、ただ相手の幸せを願うもの。
 などという断片的フレーズが時折浮かび、その想念を私はピンク・スギライトの丸玉にかぶせていくのであった。(爆発)
 かぶせてどうするの(大爆発)。
 たぶん「象徴」にするのであった。(しみじみしみじみしみじみしみじみ。)