資質のない私(大爆発)

 今日は何と、コスミックハートさんのブログに「新色アンダラは偽物」というミッキー・マジック氏の見解が出ており、今しがた一通りそれを読んだ、不肖・ロズ子○○才(爆)。で、もはやあまり驚かない、すれっからしの私である(しみじみ)。
 そもそもアンダラには最初から「人工ガラス疑惑」がそれこそ色濃くまとわりついていた。
 高額のアンダラを購入してしまった当時の私は、この「人工ガラス説」にものすごく動揺し、販売元に泣きついたものである(回想。)。それから「やっぱりアンダラはステキ」「でもやっぱり人工かも」の逡巡を繰り返し続けて早数年(自爆。時のたつのは早いものである。)。私にとってのアンダラは、「パワーあるガラス」というところで落ち着いた。
 それで新色アンダラである。確かに色が鮮やかで、いかにも人工っぽくはあるのだが、でも「これを持っていると害悪があることもある(と信じている【←信じないでもらいたい。】)」とは(←無念)。何だか脅されているように感じてしまうのは、私の僻目か(←僻目僻目。)。
 おまけに新色アンダラを持っている人は「アンダラを持つ資質のない人」とは(←激無念。)。そしてその「資質」=「愛」なわけだから、実に私には、「愛がない」というわけなのである(大大大爆発)。
 えーーーーえ、確かに私は、愛に欠けますよ(←自分で言うな!!!!!)。自分中心主義だし、自分勝手だし、自分が第一だし(←注:全部同じ意味。)。
 だがしかし、愛のある人が他人に向かって、「こんな人は愛のない人」とは言わないような気もするのだが(しみじみ)。
 そして、「アンダラが高額」ということこそが全ての原因のような気がするが(さらにしみじみ)。
 もうひとつ。新色アンダラに走る人(←つまり私。)は「選別」されていくのだそうで。
 俺、他人から低いほうに選り分けられるの大嫌い。(三度しみじみ。)こりゃもう「二元論」どころの騒ぎでもねえわな。(←感想。)