アネラ・クリスタル考

 「いつ出るかな、いつ出るかな〜〜〜??????」とある意味心待ち(爆)にしていたのだが、ついに昨日発見した、「アネラ・クリスタルはアンダラではない」との記事(大爆発)。
 シェラネバダ産のアンダラ・クリスタルを販売しているミッキー・マジック氏(←レディ・ネリーの友人であるらしい)が「アネラはアンダラではない。」「ナンセンス」とおっしゃっているそうで、英語がほぼわからない私は、やっぱり英文は翻訳希望なのであった。(←控えめにリクエスト。)
 他にも、常識で考えればアネラ・クリスタルはおかしい、というご意見があり、それは確かにそうなのだが、しかし私はそのことについて以下のような感想を持った。
 「常識で考えれば、たぶん石にパワーがあると思うこと自体、ナンセンスなのであろう。」と。
 石関係者の皆様には大変申し訳ないような気もするのだが、私は自分が石を集めていることを、周囲のリアル付き合いのある人にはひた隠しにしている(←どうせバレているであろうが)。なぜなら、「ロズ子って、パワーストーンが好きで、なんとそれに大金をはたいているんだって!!!!!!」とバカにされるのがいやだからである(大爆発。)
 私もたいがい小心者だが、「石にパワーなんてない。」というのが世間の多くの人々の大人的常識であろう(無念)。今朝、NHKの週間ブックレビューに占星術研究科の鏡リュウジ氏が出ていたが、「僕は占いという怪しいものを研究しているんですけど。」という自己紹介の、その「怪しい」という部分に、世間一般の価値観に配慮した部分があると思うのであった。
 つまり、石のパワーを愛でるということは、最大公約数的コモン・センスを超越したことなのである(←たぶん。)。
 常識の上にとどまるかとどまらないか、ということは、映画「崖の上のポニョ」についての評判をブログで見たときも考えた。
 「ポニョ」の評判は2分されるようなのだが、「とんでもない映画」と評するその理由付けの中に、「意味がわからない」「秩序や論理や常識を全く逸脱している」というようなのがあるように見受ける。つまり、「常識的に考えるとハチャメチャ」ということを嫌う人がいるようなのだ。
 それは個々人の自由なので、特に何ということもないが、常識からの逸脱は飛翔のための最大のポイントよ(←たぶん。)。私が思うのは、「石の世界に身を置いていて、アネラ・クリスタルだけを常識で判断するのは変。」ということなのであった。
 だーーーーーってーーーーーーー、高次元だとかエネルギーだとかヒーリングだとか、やっぱまだまだ常識の外じゃなーーーーーーい?????????ねえええええええーーーーーーーーーーー(しみじみ)。
 シェラネバダ産アンダラでは断じてない、ということなのかもしれないが、そう判断する人もいるし、そうは判断しない人もいる、ということ以上のことではないような気がする。
 そもそもアンダラ自体が、ものすごく人工疑惑のガラスなのである(大爆発)。
 私はアネラ・クリスタルもアンダラも大好きだ。昨夜は「アネラのパワーを確かめるため」に握って眠ったが、やはり清澄な、身体を通り抜けて整えるようなパワーを感じたし、むしろ愛しさが増したくらいであった(しみじみ)。
 今日も握って寝ようっと!!!!!!!!!(←楽しみ。)